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	洗濯物が晴天のもとではためく様子は、安息以外の何物にも見えないだろう。
	ひとによっては疲労、という印象を受ける場合もあるかもしれないけど、この光景を見て、恐怖を感じる人間はきっとわたしたちだけに違いない。
	 
	信号機が青から赤へ変わる。
	 
	風船が割れる。
	 
	絶命したヤンヤンマが家の側溝のなかで干からびて死んでいる。
	 
	何気ない一コマ一コマが、わたしたちにあの夏を思い出させるのだ。
	自分でセットした目覚まし時計の音に驚いて飛び起きたけど、なんてことない、いつもの朝で、おまけに今日はリーグは休館日だからこんなに早く起きる必要もなかったのだが。
	 
	「ポッチャマ」
	「ちゃま。ちゃまちゃま」
	「……わかった。ご飯、用意するね」
	 
	ポッチャマはわたしの予定などお構いなしにご飯をねだってわたしの頭をつついてくる。
	エアコンをつけて扇風機をまわすと、ポッチャマはわたしのベッドからおりて扇風機の前を陣取った。
	テレビをつけてポッチャマのご飯を台所までとりに行ったとき、
	ふと目の前の窓の外を真っ赤な風船が横切ったような気がして顔をあげた。
	 
	きれいな青空が広がっている。
	なんて素敵な休日なのだろう。
	どこかに出かけようかな。思いっきり、おしゃれをして。
	 
	「ポッチャマお待たせー」
	 
	ポッチャマにご飯をあげて、ミルクに口をつけながらテレビの前に座った。
	いつも見ている朝のニュース番組のニュースキャスターが、昨夜シンジ湖、リッシ湖、そしてエイチ湖周辺で連続ピッピ誘拐事件が起こったことを告げた。
	 
	さっき見た気がした赤い風船。
	 
	みっつの湖と、ピッピという点と点が、脳味噌を貫いた。
	 
	ロストタワーに作った、わたしのピッピのお墓。
	 
	「アイツが……現れたんだ」
	 
	風船にはGのマークがなかっただろうか。
	 
	「またアイツが……」
	 
	風船はピッピの血で赤く染まっているのだ。
	十年前の夏。
	空っぽのモンスターボールを握りしめながら、わたしは自分で自分を抱きしめて震えていた。
	 
	 
	『シロナさん。ヒカリです。今どこにいますか。メッセージを聞いたらすぐに電話をください』
	『ジュンくん。わたし、ヒカリだけど』
	『一旦ポケモンリーグに来てから行きますか。それともやりのはしらに直接向かいますか。連絡ください』
	『ナナカマド博士、コウキくん。コウキくんいますか。代わってください、彼自分の電話に出てくれないんです』
	『マイちゃん、ニュース見てる? すぐに電話ください』
	『デンジさん。ヒカリです。アイツがまた現れたんです』
	 
	最後にオーバさんに電話をしようとしたら部屋のドアが激しくノックされた。
	 
	『ヒカリ。テレビ見たか。デンジなら俺の部屋にいる』
	 
	十年経った今でもオーバさんは四天王をやっていて、わたしと同じようにリーグ内の寮に住んでいる。
	だからオーバさんが、たまたま一緒にいたデンジさんから留守電の内容を聞いてわたしの元へ駆けつけてくれたのだと思った。
	 
	『開けてくれ。ヒカリ』
	「オーバさん。待ってください、いま……」
	 
	蝶つがいが衝撃で壊れそうなくらい扉は強くたたかれていて、いまにも外側から破られそうだった。
	 
	『開けてくれ。ヒカリ』
	 
	『開けてくれ。ヒカリ』
	 
	『開けてくれ。ヒカリ』
	 
	不自然に強く叩かれる扉を前に不安になってのぞき穴をのぞいたけれど、魚眼レンズには必死の形相で扉を叩くオーバさんの姿しかうつっていない。
	もしかしたらアイツに襲われているのかもしれない。
	そう思うといてもたってもいられなくなった。
	 
	オーバさんが死んじゃうかもしれなかった。
	 
	早く開けなきゃ。
	 
	そういった気持ちを利用してあざ笑うのが、アイツなのに、わたしは扉を開けてしまった。
	部屋の前にいたのはオーバさんじゃなくてアイツ、アカギさんで、わたしは悲鳴をあげて尻餅をついた。
	不気味に笑いながら押し入るように部屋に入ってきたアカギさんは全身が真っ赤で、それは手にしているものから滴り落ちる血液に違いなかった。
	開かれた扉も真っ赤に染まっているから手にしているもので扉を殴りつけていたのだ。
	そう直感し、全身に鳥肌がたって涙があふれた。
	 
	アカギさんが手にしている真っ赤なものはところどころピンク色をしている。
	 
	『君が早く開けないからだよ』
	「なんで……オーバさん……」
	『早く開けてくれないから死んだんだ』
	「オーバさんをどこにやったのよ! クソ野郎!」
	『君は世界の始まりを知らないだろう。教えてあげるよ。また来るからね』
	
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	みんなのトラウマ。